自由はすでに過去の言葉?

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現代の我々の、幸福を実現する上で、欠くことのできない三つの要素が愛と自由と豊かさであることは、これまでも書いてきたとおりである。しかし、愛と豊かさは理解しやすいが、自由がなぜ未だ、幸福の要素としてあげられるのか、なかなか実感しづらい。

我々が住む日本は、自由の国だとみな当然のごとくそう思っている。なぜなら、憲法が自由を保証しているからだ。たしかに、憲法においては三つの自由が掲げられている。「精神的自由」「経済的自由」「人身の自由」である。

精神的自由とは思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由、表現の自由、集会の自由、結社の自由、出版の自由、言論の自由、報道の自由・取材の自由、選挙運動の自由であり、経済的自由とは職業選択の自由、営業の自由、居住移転の自由、外国移住の自由、海外渡航の自由、国籍離脱の自由である。

これだけの自由が保証されている以上、もはや我々にとって、自由は十二分である。もはや、自由について苦しむ時代はとっくに終わり、苦闘して自由を得た時代はすでに過去のものとなったと考えている。もはや「自由」という言葉そのものの価値が、それほど高くはなくなっている。

好きな言葉は?と聞かれて「愛」と答える人はいても、「自由」と答える人はいまやほとんどいない。愛に関して悩む人は多いが、自由に関して悩んでいる人は殆どいない。自由の問題は、すでに終わったと思われているからである。

しかし、本当にそうなのだろうか。

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