大人にも子どもにも、思考や感情の「水道栓」を過度に締め付けている場合がある。エネルギーが流れないように、締めてばかりいて、開けることが出来ない人のことである。
いずれにせよ、水道栓は必要な器官だ。ないと、危険だからである。だから、きちんと締めることを教え、そのあとで開けることを学ぶ。それによって、子供の純粋ではあるが暴力的で、制御できない津波のようなエネルギーを、思考力で制御し、全閉から全開まで自由自在にコントロールできるようになる。
締め付けすぎて、エネルギーが閉塞し、鬱血した状態だと不具合が生じる。子供たちの中にもそういう子がいる。自分を制限し、押さえ込みすぎている。すると、身体に様々な症状が起こる。たとえばアトピーや喘息などだ。こういう子供たちは、魂がより高度な場合が多い。だから、生まれながらに水道栓を持っている子も多い。
こういう子には、水道栓のコントロールの仕方を教える必要がある。とくに開け方を教える必要がある。その場合は、ワクワクすることを一緒にしたり、歌ったり踊ったり、自分をどんどん表現することに向かわせるとよいだろう。
子供を理想化したり、しつけや束縛を否定するあまり、放任したり、なんでも許可すればいいと思っている人がいる。それは危険だし、子どもが不憫である。ここにも振り子の法則が意味を持つ。まず子供の頃の無垢なエネルギーを肯定しつつ、あえて一度はそれを抑圧し、コントロールすることを学ぶことによって、再度自由にその力を使いこなす喜びが体験できるようになる。放任主義はその喜びをスポイルする無責任なやりかただ。愛と自由という観点からすると適切ではない。
子供は最初から、理想化された状態にあるわけではない。原始の自然みたいなものだ。だから、まず文明の手でいったんは抑圧し、その後解放する、という手順を取る必要がある。ただ、子供たち一人一人の魂、過去世の体験によって、進み具合がみんな違う。だから、一人一人よく観察する必要がある。そこを踏まえれば迷わずにすむはずだ。
締め付けられた思考や感情を解放する手段は、すでに現在数多く紹介されている。スピリチュアルな手法の多くはそれである。いかに多くの人々が制限され、締め付けられてきたかを示しているが、逆に今はそのリバウンド現象で、いかに子どもを制限せず、締め付けないで育てるかに偏重しすぎている。制限がきついと活力を失う。制限がないと欲望の歯止めが効かなくなる。どちらも偏っている。
かつての世代は社会システムとして、会社や組織の歯車になるべく価値観を強制され、しつけられたため、強い反発が残った。個性を滅し、公共の利益のためにのみ生きねばならない、という価値観が自己実現としばしば対立したのである。今後は思考や感情の水道栓を備えるために、個々の自制心を育てると認識して教育やしつけを施さねばならない。それは社会の歯車としてではなく、個性化した一人ひとりを対象とせねばならない。
成人後、思考と感情の水道栓をコントロールして自己実現するための、必要な器官を育成するための教育であるなら、社会と個人との間に軋轢は生じないからである。
子育ても同様である。自己実現が破壊の道ではなく、個々の幸せをめざす道であるのなら、バランス感覚は不可欠である。常に最適なエネルギーを自分自身でコントロールできるように教育されるとき、情熱やワクワクを枯らしたり、抑圧したりすることなく、周囲の利益と強調し、共鳴しながら自己実現できる若者へと成長できるのである。
これが、二十一世紀以降の教育や子育て、若者像の基本的なコンセプトである。