思考や感情を制御する水道栓を備え付ける

蛇口の先

子供が親にぶつかってくるとき、明確な理由がある。そのとき、子供は自分から溢れでた感情のパワーを受け止め、抑えこんでほしいと願っているのだ。自分では抑えられないほどの、エネルギーが荒れ狂うからである。それが苦しいのだ。

なぜ、怒るのか。
なぜ、泣くのか。
なぜ、わがままを言うのか。
なぜ、叫ぶのか。
なぜ、物を壊すのか。

親がいくら理由を訊ねても、子供はどうして自分がそんなことをするのか自分でもわからない。きょとんとするだけだ。ただ、自分で制御できない感情が爆発すると、苦しい。だから、外部にでた結果がそれなのだ。

思考や感情はエネルギーの流れだ。その流れを制御するには、あちこちに水道栓をつける必要がある。その栓を自らひねって、エネルギーを流したり、止めたりできるようになって、はじめて自分の感情や思考をコントロールできるようになるのだ。

子供の感情や思考には、まだこのような水道栓が出来ていない。

だから、自分の思い通りにコントロールできない。エネルギーの強い子と、穏やかな子とでは、当然現れ方に違いがあるはずだ。エネルギーは生理的な欲求(空腹だ、眠い等)や環境要因(家、幼稚園、学校、店など)でも、大きな流れが生じたりする。

分別ある大人は、栓がしっかりしているから、そういうエネルギーの流れをある程度、自分の力で制御できる。水道栓を閉めて、流れを止めたり、開けて流したりできる。でも、子供には備わっていない。

備えるためには、一度、エネルギーを無理矢理誰かに止めてもらうしかない。そうすると、そこにマーキングされる。場所が記録されるのだ。すると、そこに水道栓のような器官が生まれる。そして、大きくなるに従って、水道栓が各部分に備わり、コントロールできるようになる。

第一次反抗期とは、このような自我による思考・感情を制御する器官(水道栓)を育成する期間なのである。第二次反抗期は、この水道栓が、思春期を迎えて機能し始めた生殖機能と性欲において備わるために生じる。

子供の中で強烈なエネルギーが流れてコントロールできない状態の時に、かわりに親や教師や誰かが全力でブレーキをかけてあげる必要があるのである。これは、激しい生命エネルギーの流れだから、あるときは怒りや、肉体的なパワーを必要とする。

もちろんだからといって、無分別な暴力は許されない。しかし、子供の行動を身体を張って止めるだけの力は必要なのである。

すると、このとき、子供の中に、自身の強烈な生命エネルギーをコントロールできるようになる水道栓の器官が生じる。こうやって、子供は自分自身を少しずつコントロールするスキルを習得する。これが反抗期、といわれるものの真の役割と理由なのである。

だから、反抗という行動に対して必要な行動は、周囲の誰かが取らなくてはならない。そうでないと、自分を制御することの出来ない大人が増えることになる。

水道栓を持っていない、生理的な欲求をそのまま行動化してしまう大人が増えれば、犯罪や社会問題が増えるのは当然である。実際、このような若者の増加が学級崩壊、クレーマーの増加、モラハラやDVといった数多くの人間関係問題の温床となっているのである。

親が不安や恐れで子供たちを心配するのではなく、愛で子供たちの神性を信頼しているのであれば、彼らの理不尽な感情や行動に対し、きちんとブレーキをかけてあげることは、愛の行動に結びつく。厳しさや怒り、また腕力や体当たりの行動も必要だろう。

ただ、やり過ぎはいけない。暴力を容認してはならない。だからあとで、きちんと説明すること。「なぜ、怒ったのかわかるかい?」と訊ね、話しあって相手が納得するまでフォローすること。「信じてるよ」「大好きだよ」ということをきちんと伝えること。そして、自分を制御できるようになってきたら、褒めてあげることが大切な事なのである。

夫婦であれば、父親が子供を強く抑えこむ役目をしたのなら、母親が優しさで癒したり、逆に母親が切り離したのなら、父親が子供を受け入れてやるなど、バランスの取れたフォローアップが出来ればなお子供にとって、父性と母性、男性性と女性性のバランスの取れた水道栓を備え付けてやることができるだろう。

男性は常に裁き、女性は常に抱擁する、というステレオタイプな男性イメージと女性イメージは必ずしも適当であるわけではなく、古い社会的観念に過ぎない。河合隼雄が創造した男性性、女性性という言葉は、男性でも意識的に女性性を担いうるし、女性でも意識的に男性性を果たしうるということを示している。要は親がどのような観念を選択しているかによる。

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