不安や恐れにどっぷりつかり込んだ思考と感情を持ち続けると、そのような人生、そのような現実を創造してしまっていることに気付かない。心配すること、恐れることが、文明人の必要条件みたいに思い込んでいる。そうやって個々の闇が、集合的無意識まで暗くしてしまい、広範囲にわたって暗い三次元の現象を引き起こしているのである。
この事実に気づいている賢明な人は、どんなに世間が暗い内容を語り、不安や恐れをあおろうと、一切関知しない。
自分で現実を冷静に判断し、その中のポジティブな側面を見つけ、そして自分の人生の中心軸を見据えながら、愛と自由と豊かさに繋がる思考と感情を意識的に選択し続ける。だから、周りが心配しようと、不安に怯えようと、全く関係なく、愛と自由と豊かさに溢れた幸せを選択し続け、結果として自分たちだけは守られているかのようにそうなっていく。
愛と信頼、不安と恐れは、そもそもそのエネルギーの絶対量からして、比較にもならない。愛と信頼の圧倒的なパワーの元では、不安や恐れの限られたパワーなど、物の数ではない。だから、本気で愛と信頼で生きている人は、たとえ何百人、何千人、何万人もの人がネガティブな現実を創造したとしても、たった一人の愛と自由のエネルギーを奪うことはできない。
内なる神を信じ、自分を信じ、そして幸せになる覚悟を決め、ネガティブな欲求を一つ一つ手放していく。そして、自分の願いを常に意識しながら、自己実現の道を歩んでいく。
世間的な幸せは、馬の鼻面にぶら下げられたニンジンみたいなものだ。
決して、それを口にすることはできないのに、必死で追い求めさせられ、馬車馬のように働かされる。自己実現の幸せ・内なる神が実現する幸せは、世間の言う幸せなど関知しない。一人一人が、充足し、満足し、幸せだと感じる条件は違う。その個性化された幸福の条件を、内なる神は満たそうとする。それこそ、真の自己実現だろう。
多くの人々は収入が少ないと言うけれど、それは今、属している仕事から得られる収入の金額が、世間的な見方(と言うより自分の皮算用)よりいささか低いと言うだけのことだ。自分よりも下の収入しかもらえない人だっている。上を見たらきりがない。にもかかわらず、収入や金額の総量こそ幸せの必要十分条件だと思い込んでいる。
しかし、実は今の収入であっても何も困らない。収入源は自分一人ではないし、他にもいろんな形で流れ込んでくる。それを受け入れれば、常に豊かだ。ただ、世間が言う「成功」という名の、年収とか資産とかはないだけだ。宇宙銀行には唸るほどの財宝が預けられている。でも、多くの人々はそれを知らない。
ありのままの自分は、幸せでいつも心地よい。ただそうあり続けることで、現実は輝き始めるのである。