心の中が変わるだけで、どうして現実まで変わると言えるのか。
思考は現実化するからである。
ここで、この質問の奥にある観念について考えてみる。
そもそも、なぜ思考現実化プロセスでなくてはならないのか。
成功したい、お金持ちになりたい、自分の願いを叶えたいという目標なり、思いがあるからだが、それならばなぜ、いわゆる世間で当然と思われている、「現実的な手法」でそれを実現しようとしないのだろうか。努力して才能を磨き成功する。キャリアを積み重ねてお金を稼ぐ。知識を深め、経験を積み、技術を磨き、人間関係を広げて、自分の願いを一つ一つかなえていく。別に、思考現実化プロセスとか、難しいことを知らなくても、現実世界の中で活発に活動している人の多くが成功し、自分の願望を実現しているではないか。
実際、このような「努力すれば誰でも成功する可能性がある」といった強いモチベーションが、高度経済成長の原動力となった。ところが、バブル経済の崩壊が象徴する経済の頭打ち、言葉を変えれば日本の豊かさがある一定の水準に到達し、成長期から成熟期へと変化した段階で、成功はごく一部の限られた人にしか許されない、極めて困難な場所になってしまった。
高度資本主義社会とIT技術が浸透した今の社会において、成功しようと思えば、その極めて複雑な仕組みを理解し、使いこなさなければならない。より豊かに、より自由に、より幸せになろうと思っても、平凡な一般市民を抜けだす強い意志と、難解な経済の知識や、ビジネスの経験、そしてどのような逆境にも耐え抜ける精神力がなければ、到達できなくなってしまったのである。
具体例が欲しければ、ソフトバンク社長・孫正義氏の自叙伝を読んでみるといい。何も無いゼロ、それどころか国籍すらないマイナスの境遇から、ベンチャーを超えた企業へと成長させた人物が、どのような超人的努力を必要としたか、具体的な事例としてよく理解できるだろう。自分のような凡庸な人間ではとても真似できないと、無力感を感じ、絶望してしまうかもしれない。
もはや、今までのような、内的な部分を一切考慮せず、ひたすら外部に働きかけることで変化を起こすことで、自分の願望を実現し、幸福を得るという既存の手法で結果を出せるのは、選ばれたごく一部の天才級の人以外不可能な時代状況になったのである。それほど、経済の仕組みは複雑であり、起業はハイリスクであり、経営は無数の困難を超えねばならず、個人はあまりに脆弱である。
このような時代の中で、我々が外的にコントロールできる範囲など、実にわずかでしかない。既存の企業に就職し、月給をもらう代わりに、会社の求める人間像に自分を改造し、適応させるしかなくなってしまう。自分自身の情熱を発揮することと、結果を出して会社の役に立ち、生きがいや高収入を両立させることの出来る人は、きわめて稀である。多くは自己犠牲のもとで、会社に従属しているだけで満足せねばならないが、景気の悪化により就職は困難で、利益を確保するのも容易ではない。働いても働いても、収入が上がるどころか、減る一方だ。
もはや就職し、従業員として成功することは困難なのである。そこで独立開業したり、起業しようと思いたつが、九九%の人達が準備不足で失敗する。事業計画、資金繰り、営業、決算などなど、必要な仕事は山のようにあり、なんの訓練も経験もないものが、僅かな資本と僅かな知識で望めば、返り討ちにあうだけだ。
宝くじに当たることを夢見て買い続けても、事態はなにも変わらない。「人生とは結局こんなものなのだ」と諦め、絶望とともに生きるか、準備不足でじたばたし、あげく失敗者の仲間入りをするか。それほど、成功者になるのは難しいと我々は思っているのだ。
誰でも一般のサラリーマンが稼ぐ以上の金額が欲しいと願う。フリーターであろうと、パートであろうと、派遣社員や契約社員であろうと、安い給料が嬉しいはずがない。自分のできる範囲の中で、最大限の収入を求めた結果、さまざまな障害によってそこまでしか行き着けなかったのである。職種を選り好みしている余裕などないから、好きか嫌いかなどかまってはいられない。情熱があるかないかなど、そんな贅沢は言っていられない。働かざるもの、食うべからざる。これが現実である。
このような閉塞的な現実社会を見ながら、それでも成功をあきらめられない場合、どうすればいいのか。このようなネガティブな前提を、いかにポジティブに変えていけるのか。
三次元的な手法が行き詰まったのは、最高のプレゼントなのだと、どうすれば思えるのか。無力感や絶望に敗北することなく、いきいきと自分の理想を信じて、前向きに生きるためには、どうすればいいのか。