メシを食うため?:「未来は、えらべる!」レビュー4

我々の社会では、仕事のことをいまだ「〇〇でメシを食う」という言い方をする。自給自足の社会において、仕事とは生き延びるために必要な「労働」を意味した。貨幣の社会になり、狩りや農耕の自給自足から、就職や自営でお金をかせぐという形に変化しても、仕事の本質は「労働」のままだった。「働かざるもの、食うべからず」である。

ところが戦後、先進国で民主化が進んだことにより、一人ひとりがより豊かな人生を享受できるようになって、仕事が単なる「労働」だけを意味しなくなった。生き延びるだけなら、働かなくても生きていける世の中になったからである。

仕事とは、人生により豊かさを実現させるとともに、生きがいややり甲斐、充実感、幸せといった、自己実現に直結した人生行動の一つとみなされるようになったのである。単に生きながらえるためにのみ生きるのではなく、充実した、幸せな人生を実現するために、生きたいと願うようになった。

仕事=生存ではなく、仕事=豊かさ+生きがい、に変化したのである。

我々はもはや、メシを食うだけに仕事をする必要などないし、したくもないと思っている。新しい家に住み、新車を買い、綺麗な服を来て、美味しい食事をしながら、才能や知識、技能を活用して社会に貢献し、人々から感謝され、「あなたは素晴らしい人だ」と認められ、愛する人に囲まれて生きるために、仕事をしたいと願っている。

残念ながら、政治、経済、教育、経営、その他もろもろの社会システムや法律は、「仕事とは労働である」という定義に基づいており、「仕事とは豊かさと自己実現である」という新たな定義に基づいていない。このため、様々な問題が生じている。

マネジメントの神様と呼ばれるドラッカーも「仕事と労働とは別のものである」と「マネジメント」において看破している。

しかし、多くの経営者は自分の生きがいや自己実現には関心があるが、従業員のそれに関心があるとは言えない場合が多く、従業員がいきいきと働く職場は稀である。このため社会人の多くは、未だに「労働者」として扱われている。景気が良ければ給料の高さで諦めもできたが、景気が悪くなると低い賃金で好きでもない仕事にこき使われることになる。これが欲求不満とストレスの原因になっている。

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