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不幸の再定義

不幸の再定義

まずは、不幸を定義しなおしてみるところから始めてみる。あなたにとって、今の不幸の定義はどのようなものだろうか。不幸とは、どのような状態を指すのだろうか。言葉にしてみてほしい。それが、無意識に放置していた信念や定義を認識する、ということである。 不幸とは…。という言葉を、思いつくまま書き並べてみよう。「不幸とは苦痛」「不幸とは死」「不幸とは別れ」「不幸とは失うこと」「不幸とは破壊」「不幸とは幸せが壊 . . .

不幸は気づきのチャンス

不幸は気づきのチャンス

もし、現実が、人生が、自分にとって苦痛であり、不愉快であり、なんらかの束縛に耐え、不条理で、不幸であると感じているならば、それは束縛に気づくまたとないチャンスである。 多くの人は、人生に問題が起こると、その問題を引き起こしている外的な要因しか見ない。そしてその外的要因を無力化し、解決を試みようとするが、殆どの場合、それはうまくいかない。なぜなら、他者を他者が変えることはできないからである。 しかし . . .

自由を奪う三つの同意

自由を奪う三つの同意

仕事とは責任である、と多くの人は言う。責任を果たすために、自分の家族を犠牲にするのは当然だ、と理解するのである。しかし、ではそもそも、働いて稼ぐのは、一体なんのためなのか。誰のためなのか。そもそも、その責任を果たした先で、どれだけの人は幸福になっているというのか。 仕事のための仕事の責任を果たすことに、どれほどの価値があるというのか。本質的な理由を、多くの人は考えないまま、義務を果たすことを優先し . . .

セックスレスとお金の関係

セックスレスとお金の関係

例えばセックスレスを考えてみる。通常、これは夫婦の考え方とか、価値観、倫理観、性欲の多寡などが原因とされるが、実はその多くはお金に関わる問題なのである。 毎日、夫が仕事が終わって家に帰ってくるのが12時過ぎという家庭も、今時珍しくはない。そして翌朝5時には出勤。土日は日頃の睡眠不足で寝るだけである。激務のストレスで心も体もクタクタである。それでいつセックスできるのだろうか。そんなエネルギーなど余る . . .

我々の自由を抑圧するモノ

我々の自由を抑圧するモノ

我々はすでに、心のなかで何を考えようと、何を信じようと、それが心のなかである限り自由であるとされている。 昔はそうではなかった。戦時中は、何を考えているか、何を語るかが、生死に直結した。しかし、敗戦後日本は自由国家になった。だから、自分の心のなかは誰にも制限されていない。どこに住もうと、誰と結婚しようと、どんな仕事をしようと、国から制限されることはない。 これほど自由を保証されている日本において、 . . .

不条理と束縛

不条理と束縛

思考現実化プロセスによれば、我々の現実におこる出来事、つまり現在の人生そのものは、すべて、自分の思考が反映されたものだという。 愛とはこういうモノだ。仕事とはこういうモノだ。お金とはこういうモノだ。幸せとはこういうモノだ。このような観念はほとんど意識されないが、意識の深みで常駐し、我々の人生を毎日せっせと作り出しているのである。 そのベースとなっているのは、分かりやすく言えば親の信念であり、定義で . . .

人間に自由などいかばかりもない

人間に自由などいかばかりもない

安彦良和の「アリオン」という物語の中で、アリオンは呪われた自分の運命に抵抗し、獅子王の前で自分の命を絶とうとする場面がある。獅子王は「やれるものならやってみろ」と挑発する。アリオンは自分の喉に剣を立てようとするが、へなへなとくずおれてしまう。獅子王は言う「人間に自由などいかばかりもない」と。 我々はたしかに社会としての自由は保証されている。しかし、自分の人生を、自分自ら、自分だけの意思で、自分のや . . .

自由はすでに過去の言葉?

自由はすでに過去の言葉?

現代の我々の、幸福を実現する上で、欠くことのできない三つの要素が愛と自由と豊かさであることは、これまでも書いてきたとおりである。しかし、愛と豊かさは理解しやすいが、自由がなぜ未だ、幸福の要素としてあげられるのか、なかなか実感しづらい。 我々が住む日本は、自由の国だとみな当然のごとくそう思っている。なぜなら、憲法が自由を保証しているからだ。たしかに、憲法においては三つの自由が掲げられている。「精神的 . . .

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