弥栄三次元(いやさかさんじげん)について書いてみます。
この弥栄三次元、という言葉、
もともと数霊の深田剛史さんの本の名前です。
数霊 弥栄三次元―祝諏訪大神建御名方刀美恵美須尊/深田 剛史
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以前、二度ほどお目にかかりましたが、
深田さんは想像とはずいぶん違っていて、
スピリチュアリストというよりは、
ロッケンローラーといった風情のイケメンでした。
高次元の意識を持ちながら、
日々、三次元の中にどっぷり浸かり込んで生きているような、
とてもユニークな方でした。
もともと、私達夫婦は子供の頃から、
スピリチュアルとかヒーリングとかが日常で育ってきたため、
三次元の意識が希薄でした。
ネガティブな感情や体験がないため、
毎日の生活がどこか遠くにあり、
精神世界の中で生きる毎日が、
実体のように感じていました。
そんな中で、
愛を体験したいと願っても、
もともと高次元は愛だけの世界ですから、
愛を実体のあるものとして体験することができません。
そのため、13才を過ぎてから、
3次元の現実の中で、
失恋したり、裏切られたり、
無視されたり、傷つけたり、
とにかく愛に関するネガティブな体験を
現実の中で突然するようになりました。
そして、何年もの苦しい時期を経て、
ようやく今のパートナーと出会い、
十分な愛を体験できるようになりました。
苦しみを体験できたらからこそ、
愛を体験できるようになり、
そこまでの体験が愛を光り輝かせています。
自由にしても、豊かさにしても、
それがない苦しみを体験できるから、
ある喜びも体験できます。
ない状態の人がいるから、
ある状態に復元することをサポートできます。
それが三次元の価値であり、
そのためにこそ、我々は、
わざわざエネルギーの振動を落として生まれ出てきます。
通常は現実に生きる限り、
三次元の世界しかコミットしません。
あえて、そこから逃れ、
スピリチュアルな世界を旅したいと思うのは、
そうせざるをえない何らかの動機があるからです。
この場合、次のような段階を経ます。
1 現実の苦痛から逃れたい段階
現実の中で、病貧争などの苦しみに直面したものの、
現実レベルでの解決法がなくなり、行き詰まったとき、
スピリチュアルな手法により、苦痛から逃れることを目指します。
地上で、重力に支配されて生きている状態です。
2 覚醒し現実から解放された段階
スピリチュアルな叡智や手法によって覚醒し、
高次元の意識に目覚めたことで、
現実から解放され、三次元から離れた状態。
空中に浮遊し、地上を見下ろしている状態です。
3 弥栄三次元の段階
覚醒した意識を保ちつつ、
現実の三次元に深くコミットして生きている。
高次の情報を受け入れつつ、三次元の喜怒哀楽の中に生きている状態。
必要に応じて飛翔する以外は、地に足付けて生きている状態です。
人々の多くは、
2の段階にいる人が最も優れていると
誤解してしまいます。
そのため、高みから見下ろすような形で
人々を救おうとする指導者を求めます。
ああしなさい、
こうしなさい、
ああするべき、
こうすべき、
もしそうしなければ、
あなたはだめになるでしょう。
そういった形の「救い」は
実のところ、「救い」ではなく「掬い」です。
「掬い」は依存と支配の温床になります。
その根底にあるのは、愛ではなく恐れですから、
自由も豊かさも実現されることはなく、
安心と引換に、拘束と清貧を強いられがちです。
真の救いは「掬い」ではなく、
パルジファル存在が語り伝える
「共に苦しむ=共苦」です。
自己犠牲ではなく、
痛みを共有し、
痛みを理解し合うこと。
それが真の救いだと、
パルジファル存在は教えてくれます。
河合隼雄氏の心理臨床も
共に苦しむ、苦しみを深く理解する、
一緒に味わう、という点に深くコミットし、
クライアントの回復をサポートします。
実のところ、2の段階は
最も危険な段階とも言えます。
2の段階にいると、地上のあらゆること、
三次元的な物事が、
取るに足らない、
瑣末なことのように感じられるからです。
覚醒したことで、死後の様相もわかりますから、
死が痛みではなくなります。
すると、死を恐れたり苦しんだりする人を見ると、
滑稽に感じてしまいます。
「なんで、そんなに苦しむんだろう?
死なんて、睡眠と同じなのに」
四苦八苦すべてが、
そんな感覚です。
2の段階に至った自分だけが特別と感じ、
無意識のうちに、
上から目線になってしまいます。
そして、三次元的な毎日の生活が
億劫になります。
テレパシーどころか、
言葉すら通じない三次元の人々と
接することが苦痛になります。
実際に、自分がそうだったからです。
今でもそういう自分の内面を常に感じています。
だからこそ、三次元の苦痛を、
徹底的に体験する必要があったのだと思います。
弥栄三次元とは、
高次の意識に目覚めながらも、
この三次元世界のかけがえのない価値に気づいた人が、
降りてくる段階です。
毎日の生活で、
ご飯を食べたり、
家族と喧嘩したり、
テレビを見て笑ったり、
コンビニでパンを買ったり、
車を運転したり、
キャッチボールしたり、
市民会館のコンサートに出かけたり、
ユニクロでジーンズを買ったり、
派遣の仕事にでかけたり、
メールを見たり、
コーヒーを飲んだり、
同僚と世間話をする。
そんな、日常の一つ一つの積み重ね。
喜怒哀楽の体験一つ一つが、
精神の世界では決して得られない、
貴重な体験だと気づきます。
それゆえに、三次元が光り輝いて感じられるのですね。
愛する人がいつか死んで、居なくなってしまう。
その哀しみがあるから、いま隣で笑ってくれているひとに、
毎日恋することができます。
もちろん、その人の魂が永遠であることを知っていて、なお。
次元を越えた覚醒の先にある、
弥栄三次元の段階へ、
さまざまなルートから達したとき、
そこでみる三次元は、
今までとは全く違った美しい世界です。
汚いもの、醜いものがあるから、
美しいものが光り輝く。
弥栄三次元。
これが我々夫婦の定義する
スピリチュアルです。