| 夢で会いましょう (1981年 冬樹社) |
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しょっぱなからエッセイというより、二人短編といった感じのものだが、これは村上さんと糸井重里さんが、カタカナ言葉(いわゆる横文字)に関して、入れかわり立ちかわり出てきて、適当なほら話を吹いていくというものである。こういうの見ていると、ほんと70年代だなあと思う。正直言って僕は、(おもしろいけど)あんまりピンと来ない。YMOとか、スネークマン・ショウとかも、こういう(「ナンセンス・ジョーク」とでもいうのか)感じだったことを思い出す。そしてそこには必ず、セックスがからんでくるんだけど。アメリカが憧れだった、古きよき時代ですね。しかし、今どき「お米の国」に憧れてる人って、まだいるんだろうか? |
| 象工場のハッピーエンド (1983年 CBSソニー出版) |
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これもまたエッセイじゃない本。安西水丸さんが、画集を出しませんかと言われたものの、イラストレーターの自分がそんなの出すなんて照れ臭いというので、誰かと一緒ならいいかというんでお鉢が村上さんに回ってきたという。これは文庫の最後に収められている「画家と作家のハッピーエンド」に書かれている。村上さんと水丸さんとの対談ではいちばん「まとも」なものだ(あとになるほど無意味になってくる(^_^;))。ちゃんと、一緒に仕事をするようになったいきさつなどが書かれている。また、村上さんが最初エッセイを出すのを渋った理由(水丸さんとよく似ているけど)も書かれている。 と、いうわけで、この本自体は、絵の比重が大きいので、どっちかというと水丸さんの本と思ったほうがいいかもしれない。こうして見ると、水丸さんの絵もずいぶん変わってきたんだなあと思う。最近の「イノセント・アート」と比べると、ずいぶん絵が丁寧というか、これでも「堅い」と思ってしまうんだから、すごい。僕としては、こういった切り絵タイプの絵が好きです。 |
| 波の絵、波の話 (1984年 文藝春秋) |
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写真家・稲垣功一さんの写真に、村上さんのエッセイ・翻訳などが折り込まれている。未読。 |
| 村上朝日堂 (1984年 若林出版企画) |
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村上さんのエッセイといえば、水丸さんとのコンビネーションである「村上朝日堂」ブランド。これはその記念すべき第一弾である。今は昔の『日刊アルバイトニュース』(今はハイカラにanなどといっているが)に一年九カ月連載されたコラム「シティー・ウォーキン」を収録している。読んでいると、恐ろしく懐かしい話が出てくる。たとえば、糸井重里さん他が作ったCM「人間だったらよかったのにねえ」というやつのこととか。 さて、デビューしてまだ五年めということで、各所に「したっぱさ。あははん」といった優雅さがあふれていて、とてもいい。安西さんのイラストも、全然説明的で、しかも文章とマッチした内容なので、なんか奇妙に驚いてしまう(だって、ねえ)。最近の芸風は、村上さんは村上さんで一階に住んでいて、安西さんは安西さんで二階に住んでいて、夕食の時以外はすれ違い、といった風情なので、こういったいかにも角突き合わせてタッグ組んで仕事しているといった有り様を見ていると、とても不思議な感じである。当時はこれでも、十分タラタラやっているという感じだったんだろうけれど、今見るとむしろ「リキはいってるな」と感じるのが面白いというか、謎である。現在では、パフィーみたいに、タラタラをセンスよくソフィスティケートさせ、商品化している人たちがいるから、余計そう思うんだろうね。 基本的に軽い本なので、わざわざ深刻に読むことはないわけなんだけど、それでも一応村上ファンの僕としては、例の「アフォリズム」について触れないわけにはいかない。彼は、所々で本音というか、経験則みたいなものを、このような形で提示する。文章を書いていると、時々そういう言葉が意識の底の方にしっかり入り込んでいることに気づくことがある。例えば「文章の書き方」の中にある「どんなふうに書くかというのは、どんなふうに生きるかというのとだいたい同じだ」とか。 巻末の対談も、相変わらず面白い。特に結婚のことについて語っているところなんか、半分傷の舐めあいみたいで、とてもいいのである。ただ、付録にある村上さんの気持ち悪い絵だけは勘弁して欲しい。 |
| 映画をめぐる冒険 (1985年 講談社) |
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60年代から70年代にかけてのアメリカ映画を中心に、川本三郎さんと短評をくわえたもの。未読。 |
| 村上朝日堂の逆襲 (1986年 朝日新聞社) |
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編集者に「タイトルにかかって邪魔だから鞭を拳銃にしてくれ」といわれ、水丸さんが憤慨した(かどうか知らないけど)という、朝日をバックにしたインディ・ハルキ・ジョーンズ氏が表紙の村上朝日堂第二弾。『週刊朝日』1985年4月5日号〜86年4月4日号に連載された。寡黙で人見知りで他人においそれとは心を開かない村上さんではあるが、さすがにエッセイを積み重ねると好き嫌いくらいはわかるものである。しかも、本質的な部分での変化が少ない方なので、この当時から基本線は変わっていない。おおまかにわけてみると、 好きなもの:自由、翻訳、猫、B級映画、人の話を聞くこと、音楽(特にジャズとオペラ)、ヤクルト・スワローズと神宮球場、ビール、マラソンと水泳、家事、引っ越し 嫌いなもの:組織、筋の通らないこと、不適当な日本語の使用(例えばおつりを「お預りします」、右から左に書く自動車の社名、街にあふれる標語、などなど)、新聞勧誘、マスコミ、拝金主義、学校、批評家、中華料理、スノビズム なんかまだありそうだけれど、まあとりあえず。 価値観が変わったことというと 自動車は不要である→外国ではないと困る→あればなかなかいいもんだ くらいしか思いつかない。あとは、「どっちでもいい」という広大な浮動空間にすべて収められているようだ。 |
| ランゲルハンス島の午後 (1986年 光文社) |
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1984年6月から2年間、雑誌『CLASSY』に連載した「村上朝日堂画報」というページをまとめたもの。25編のエッセイに、水丸さんの大判の絵などがふんだんにおさめられた、なんともほのぼのとした、きれいな本である。ところで、昨年のうちの仕事場のカレンダーがずっと水丸さんのイラストだったんですが(どこかの銀行のだった)、これもいわゆる小確幸というやつなんでしょうか。とてもよかったんですよね。残念ながら今年は「名阪茶屋」のわけのわからない日本庭園になってるんですが。 |
| 'THE SCRAP'懐かしの1980年代 (1987年 文藝春秋) |
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1982年春から『スポーツ・グラフィック・ナンバー』誌に掲載された中から抜粋。アメリカの『エスクァイア』『ニューヨーカー』誌から記事を抜きだしてコメントを加えるという形式で綴られている。僕はちらっとだけ友人宅で読んだことがあるが、未入手。ちなみにその友人は、この本を読んだ感想では「村上春樹のどこがいいのかさっぱりわからん」と言っていた。そんなこと言われたって困っちゃうんだけど。とりあえず、長編読んでください。 |
| 日出ずる国の工場 (1987年 平凡社) |
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村上さんの好奇心がなしたという、工場(?)見学ルポルタージュ。取材はすべて1986年に行われた。メニューは、1.人体標本工場、2.結婚式場、3.消しゴム工場、4.酪農工場、5.コム・デ・ギャルソン、6.テクニクスCD工場、7.アデランス、というそうそうたるラインナップである。これも村上朝日堂系列で、安西水丸さんのカラー・カットがたくさん使われている。そのせいで、どこかしらリアリティーが薄まっていて、まるで『不思議の国のアリス』的シュールさすら感じさせる。とはいえ、初っぱなと最後があまりに強烈なので、その間のことをほとんど覚えていないんだけど。あ、CDの制作工場のは結構実際的に役に立ったかな。 意味あいとしては「僕がこうして原稿を書いている今も日本中の工場で無数の人々が体を動かし、いろんなものを作り続けているのだと思うと、僕の心は何となく慰められ、勇気づけられるのである」という言葉が、ほとんどすべてと思う。頭より体を使って物を書く、村上さんらしい言葉である。おそらく編集者や文筆家より、技術者や職人といった人々に自身と共通するものを感じるのだろう。アーヴィングやカーヴァーやオブライエンもそういう感じの人ですよね。フィッツジェラルドは全然違うけど。 |
| 村上朝日堂 はいほー! (1989年 文化出版局) |
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1983年から約5年間にわたって『ハイ・ファッション』誌に掲載された35編から12回分を除き、代りに他のエッセイを8編手を加えて収録したというもの。「わり食う山羊座」「青春と呼ばれる心的状況の終わりについて」「チャンドラー方式」「村上春樹のクールでワイルドな白日夢」「オペラの夜」「貧乏はどこに行ったのか」等がある。個人的にはこのエッセイ集が一番好き。なぜかはよくわからないけど。 |
| 使いみちのない風景 (1994年 朝日新聞社) |
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これも写真家・稲垣功一さんとの作品。ロマンブックコレクション第二巻。文章はプリンストンで書かれているようだ。村上さんは決して旅行が好きなわけではなく、「住み移り」――つまりは引っ越しをしているのだということ。なぜ自分がこのような住み移りを求めるのかということ。そしてまた、そのような移動していく途上での「記憶されている風景」と、それとは別のランダムアクセス的に蘇ってくる、これといった根拠のない「使い道のない風景」の違いについて、書かれている。特に、この「使い道のない風景」を文章化する実験が、間接的に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を生み出すきっかけになったというところが、とても印象的である。写真も、じつにランダムで、一定した傾向というものを排除しているところが面白いと思う。 |
| やがて哀しき外国語 (1994年 講談社) |
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『本』1992年8月号から93年11月号にわたって連載されたエッセイを収録。ニュージャージー州プリンストンで書かれた(と思われる)作品。水丸さんのイラストがちょこっとあるから、一応村上朝日堂だと思うけれど(でも講談社だからな…ちがうのかな)、タイトルからも類推できるように、村上さんのエッセイの中ではもっともまじめなものである。あとがきを読むとわかるけれど、『遠い太鼓』が「常駐的旅行者」の目から見た「第一印象」か、せいぜい「第二印象」であったのに対し、この本の中ではアメリカ社会に帰属している者として、もう少し突っ込んだ「第二印象」「第三印象」がまとめられている。チャプターごとの文章量も原稿用紙21、2枚ということで、かなり大目である。それでも「書いてて長いと思ったことは一度もなかった」と村上さんは言う。 普段のエッセイの調子に慣れきっているので、こうすましたまじめな顔で語られてしまうと、正直少し居心地が悪いような気もする。やっぱり村上さんはまじめと冗談が「わんわん」といった感じで、混ぜこぜになっているほうが、いろんな意味で入ってきやすいんじゃないだろうか。 さて、僕が好きなのは、まず「運動靴を履いて床屋に行こう」である。かねがね、髪の毛に悩み深い村上さんが(僕もそうなので、床屋の悩みはよくわかる。僕の髪質は村上さんと正反対で、超剛毛なんだけど)、いったいどうやって外国の不器用な床屋でしのいでいるのか、かねがね心配していたので、この話題は「やっぱりか〜」と納得してしまうものだった。実際、器用さという面では概ね日本人はハイアベレージだし、特に床屋に関しては言わずもがなだろう。それでも、納得いかないことが多いんだから、アメリカ人みたいな、でかい手でやられた日にゃ、目も当てられないことになるのは避け難い。そりゃ美容院しかないだろうなと思う。でも、美容院で女性に混じって髪を切られる村上さんも、結構いいかもしれないですね。親近感持っちゃいますね。 あと、村上さんとプリンストンの学生とのやり取りの中で、かつてジャズバーをされていたころから、作家に転身したあたりのことを振り返る「ロールキャベツを遠く離れて」は、とりわけ僕が一番好きなチャプターだ。正直なところ、僕だって村上さんに教えてもらえるような幸運に恵まれたら、やっぱり「どうやればいい小説が書けるのか(そんな処方箋がないことは100%わかっていても)」「どうやったら作家になれるのか(それは本当に限られた人間にのみ開かれた窓だとしても)」という設問を、せずにはいられないだろうなと思う。ここの学生達もそうだけれど、僕も同じように、公式発表としての村上さんではなく、生身の姿を求めているのだ。タマネギを速射砲のように刻み、拾った3万円で借金を返し、ジャズに愛憎使い果たし、夜中ビールを飲みながら原稿用紙をうめている、その姿にこそ、強く強く魅かれてしまうのだ。なぜなんだろう? |
| うずまき猫の見つけ方 (1996年 新潮社) |
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1994年春から1995年秋にかけて雑誌『SINRA(おっとFFか?)』に連載されたエッセイ集。マサチューセッツ州ケンブリッジで書かれている。基本メッセージは「一に足腰、二に文体」である。「村上朝日堂ジャーナル」と副題がついているが、かわいい水丸さんの色鉛筆絵や、奥さんのきれいな写真など(猫多し)、ビジュアルが豊富でとても楽しい。キャプションも、なんか抜けてて笑える。帯にも「絵日記版」と書かれている。ちょうどこの時期は、『ねじまき鳥』執筆中ということで、その裏番的に、方の力の抜けた、リラックスした滞在記である。それにしても「うずまき猫」って、どんな生き物なんでしょうね? 月報の対談は、ますます無意味で面白い。 |
| 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (1997年 朝日新聞社) |
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「帰ってきた村上朝日堂」である。以上終わり。 と言いたいけど、そうもいかないので(別にいいんだけどさ)。おなじみ『週刊朝日』に95年11月10日号から96年12月27日号まで、約一年間連載されたもの。『アンダーグラウンド』という極めて重い本の取材を進める傍ら、このエッセイを「精神のバランスをとるためのよい息抜き」として(だけじゃないが)書かれていたそうだ。元祖朝日堂と同じように、水丸さんのペン画が入っている。でも、本文との「ずらし」方は、元祖より格段に洗練されている。余計な説明もない。名人芸と言ってもいいくらいの「間」である。 さて、この本が今までにない、全くオリジナルである部分は、インターネットと連動していたことであろう。WWWサイト「村上朝日堂」に、『週刊朝日』と同じ文章が、ほぼ同じペースで掲載されていたのだが、やがてここで届いた投稿メールがフィードバックされて、サイト上はもちろん(あまりのメールの多さに、専用のフォーラムが作られ、村上さんの返事といっしょに掲載されている。僕も3通ほど返事をもらった)、エッセイにも反映されていく様が面白い。例えば全裸主婦とか、空中浮遊とか、マンション・ラブホテル大賞(ちなみに右上の写真は古い「はいから」&「おしゃれ」の看板。今は少し違うのになった)とかがそうだ。なんだかラジオみたいである。ところで、この時点では何とマックを4台も使っているんだそうである(しかも、この調子だとネットワークさせていないのかもしれない。もったいない)。しかも、どれかが必ず不調なんだそうである。僕なんかマックの不調をなだめることに関してはちょっとした権威だから(Norton先生か、FastAidがあればね。他にもHDの初期化やOSの入れ換えやメモリやPCIカードの増設くらいはできる。まあ誰でもできるけど(^_^;))、レプリカントかクローンが一機いればずいぶん役に立つんだろうけど、そういうわけにも行かない。残念なことである。 |
| ビヨンド・ザ・ホライズン (1998年 イデー) |
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写真家・稲垣功一さんの写真に、村上さん他のエッセイなどが折り込まれている。未読。 |
| 「そうだ、村上さんに聞いてみよう」 (2000年 朝日新聞社) |
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「村上朝日堂」ホームページに寄せられた質問メールの中から、282の「大疑問(っていうかー(^_^;))」と、それに対する村上さんの回答をピックアップし、まとめたもの。なんだか宝島の別冊みたいな雰囲気の、雑誌のような感じの本。安西水丸さんのイラストつき。作品に関することから、プライベートに関することから、社会のことに関することから、趣味に関することから、セックスに関することから、まあ種々雑多、よくこんだけ答えたなと(もちろん未収録のものの方がはるかに多いんだろうけれど)呆れるというか、感心してしまう。 ただ、正直なところ、今までのエッセイや作品をきちんと読んでいる人には、そんなに「ええ、意外!」というようなことは出てこないような気がする(奥さんが写真を「仕事として」仕方なく撮らされている――とおっしゃる部分くらい。僕は「好きが高じて」なんだと思っていたのだけれど)。数少ない作品に関するコメントを見ても、「ああ、やっぱりね」というところがほとんで、僕としてもむしろ安心というか、「そんなの知ってるよ」的シッタカブッタしたくなる部分が多かった。なんせこの「羊男珈琲店」というページは、完全に僕の独りよがりな読みで成り立っているページなので、あんまり作者の意とは正反対の受け取り方だと、ちょっとまずいかもしれないかなあ、まあ違ってたら違ってたでいいけどさーと思って読んでいたのだが、そういう心配はなさそうな感じだった(と勝手に思っているわけだけれど)。 村上さんの答えに、同時代の作家の作品くらい生で手つかずのものを読んだらどう?と書いてあるように、僕もあんまり他の人の村上作品に対する評論とかあまり読んだことがないし、読んでも「ハイ?」と首をひねってしまうことの方が多い。翻訳に関する答えの中で「最後は作品に対する愛だ」という言葉があるけれど、批評文だって同じことだと思う。作品に対して共感とか、深い愛情とか、そういうものなしに、論理的にクールに一面的に書かれても、ピンと来ないのだ。じゃ、このページは何なんだと言われるかもしれないけど、僕としてはこれが批評文だなんて思ったことはなくて、村上さんの作品を題材に、僕自身の考え方や感じ方を書きたいだけであって、だからこんなにアホみたいに全部の作品に対して(何の徳にもならないのに)一生懸命文章を書いているのである。「まだ読んだことのない読者のために」なんてボランティアな気持ちは毛頭ない、ものすごく自己中なページなのである(だから続けられるのだ)。 話はそれるけれど、かつて「Macをめぐる冒険」というMac関連のニュース記事を追うページを運営したときに、奇妙な虚しさみたいなのを感じたことがある。毎日のアクセス数が300とか400とか、個人サイトとしてはふざけた数に上昇し、すごく嬉しくなって有頂天になって、無理した後、手に負えなくなって最終的に続けられなくなり、「結局、うちに来てくれた人たちは、僕の文章を読みに来ているわけじゃなくて、ただMacに関する情報が知りたいだけなんだよな」とふと気づいたときのことだ。当時の僕は、今に比べればまだボランティアな気持ちがあった。Macコミュニティのために、多少なりとも役に立てれば――という(偽善的ではあるけれど)ピュアな気持ちもいくらかはあったと思う。でも、それで結局どうだったかというと、自分のやりたいこととか、感じたことなんかよりも、読者とかコミュニティとかが求めてくるものに無理に合わることを記事の中心にしてしまい、結果的に自分で自分の首を絞めることになってしまったのだった。もちろんそういう形で今も続けている人たちは現実にいるし、僕も利用させてもらいつつ、かねがね頭が下がる。でも、しばしば取り違えているページもあるような気がするのだ。ウェブマスターたる自分自身を見に来てくれているような錯覚に――かつて僕が陥ったように。 そのことで学習した僕は、狡猾な手でアクセス数を稼ぎつつ、自分の思ったこと、考えたことも同時表現できるという形で、新しくこのページを作った。村上さんの作品を紹介する、という見せかけのもと、やっていることは僕自身の表現そのものだ。今のところ、このようなコバンザメ的な形でしか、表現する場所をもたないからだ。僕は、少し自虐的にだけれど、村上さんの次の二つの分類を自分に当てはめてみる。
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| またたび浴びたタマ (2000年 文藝春秋) |
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これは、村上さんが今年(2000年)の正月には、一切仕事をしないと決めたがために空いた手持ちぶさたな時間を埋めるために5日間、必死で作ったという五十音(四十四個)の回文(上から読んでも下から読んでも山本山、という文のこと)にカルタ風に絵をつけて収録したものである。絵は、「あの」超シュールでお下品な友沢モモヨ氏作のものである。予想通り、ほとんどの絵で胸とか尻とかあそことかがはみ出ている。まあ、でもそんなのは別に恐ろしくもなんともない。僕が恐ろしいと思ったのは村上さんがこのような「回文作り」なんてするにいたった動機の部分である。 いくらなんでも、仕事しないって決めたら手持ちぶさたになって、パソコンなしでできるというんで、回文作りを正月にやりだしたって、いったいどういう精神構造をしているんであろうか。作家というのは、そこまで言葉に取り憑かれた人種なんだろうか? なんでも山田詠美さんなども、ときどき広辞苑をむさぼるように読みたくなったりとか、そういう「言語中毒」みたいな症状があるらしいけれど、村上さんもまったくそんな感じを受けた。文字とか文章とかに取り憑かれてしまった職種の恐ろしさみたいなものを、ふつふつと感じさせる、なんとも不気味な本であった。これは装丁の可愛らしさとは、正反対のかなりのコワさを内包した本だと、僕は思ったな。うむー。 『翻訳夜話』も、同じように言葉に対する並々ならぬ思い入れが伝わってくる本であるわけだが、それがかなり危険な領域まで推し進められているのが、この作品と言ってもいいかもしれない。 でも、そうやって言ってる割に、怖いもん見たさでときどき、「そろー」っと本を開けたりしていたりする。そばを通り掛かりる人に「あ! この本かわいいねえ」なんて言われると、とても複雑な喜びを感じたりして。 |
| 村上ラヂオ (2001年 マガジンハウス) |
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女性雑誌「anan」に掲載されたエッセイを収録。ほのぼのしています。
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