<特別企画>

羊男珈琲店ML:端午チャット・ダイジェスト
■『ねじまき鳥クロニクル』考察■

参加者:K Troyさん、ちさとさん、tmkさん、Mumul
DATE:2001.5.5 20:00~23:00

●井戸抜けと叩き潰したもの

mumul->僕がすごくはまったのは、井戸抜けをどうイメージするかでしたね。井戸抜けして、向こうに言ってしまったら、ナイフで血が出るはずがないのに、現実に傷がついている
k troy->ぼくもとまどいました。 ちょっと現実的には考えられないことだったので
mumul->で、208号室で女と会って、バットでたたき潰すでしょ? あのへんの強烈なイメージと、それを現実に橋渡しする部分。直感的にはすごくわかるんだけど、イメージにならない部分なんですよね、ここって
ちさと->叩きつぶしたものって、なんだったんでしょう?
mumul->あ、それを一言で言うんですか? それはすごいたいへんだ
ちさと->誰だった、というべきなのかな? 単純に綿谷ノボルではないんですね
mumul->綿谷ノボルに象徴されている、あらゆる歴史的な闇(その代表が皮剥ボリスなわけですが)やみくろ的なるもの、血とか死とか戦争とかに繋がるもの。その闇の因子が、自分という存在の中にも触手を伸ばしているという事実。それをたたき潰したのではないかと
k troy->むずかしいです。 ねじまきは・・・。
mumul->歴史の闇と、現在の闇との、複雑な立体的交錯ーーこれがねじまきの基本構造ではないかと思います。
ちさと->歴史の闇。自分はかんけーないと思ってても、そんなことはない、ってことなんでしょうか。
mumul->自分は関係ないって、日本人全部に教育してきたわけですよ、戦後。だから教科書問題に冷淡
ちさと->ちょっとわかります。感覚的に、だけど。
mumul->でも、その裏はなんにもかわっていないで、手つかずに残っている。それが「オウム事件」とか、そういったところにあからさまになる。そういうあたりが、村上さんの中では、かなり切実な恐怖としてあったのではないかと思っています
ちさと->根深いですよね。

●歴史と個人の闇

k troy->真実はどこにあるんでしょうね。どちらの国も不利益なことは隠そうとするし・・・。 欧米諸国の教科書はどう言う風に表現しているのでしょう。
ちさと->国によるでしょうねー。
mumul->ただ、ヨーロッパはとにかく全部一通り、あげつらって分析して、○×はっきりさせますけど、日本は全部「なかったこと」にしますから、それが怖いと
ちさと->いや、それってまっとうですよね。国民それぞれに判断をまかせるっていうのは。それをしないのはばかにしてるって思います。知り合いが、それがいやで、日本をでていきました。それも極端だけど。
mumul->正直なところ、僕自身はそこまで切迫した恐怖とか、リアリティを感じられてはいないですが。
tmk->安全すぎてぼけてしまってますよね
ちさと->あ〜村上さんファンで良かった〜。「ぼけてない」ほうの人にはいれそう(笑
mumul->ただ、歴史って言うと、どうしても学校の授業みたいに、客観的事実しか見ないわけですが、村上さんは、現実の今の我々の中に、その因子が紛れもなくあるんだぞと。ほっといたら同じことを繰り返すんだぞと。そういう危うさみたいなのを、夫婦とか、身内とか、いろんな視点からしつこくしつこく、今の問題として語ってくれているんだなと思います。
tmk->なるほど、深いですね
k troy->深すぎてまだそういうこと理解し切れません。
ちさと->「教科書問題」とかいうと、ちょっとめんどくさ、な空気もあるけど、そんなことなくて、身近なとこを見落としてると、こわいよ、っていう。
tmk->どうしても表面の物語だけ追ってしまいます。それだけでもおもしろいんですけど
k troy->僕はまだねじまきが夫婦間でのそういう危うさを持ってるよってくらいにしか感じられていないし。
mumul->だから「皮剥」とか「バット」とか、かなり血なまぐさいシーンで、無理やり我々の「関係ない」といって目をそらす感性を、刺激してくるのかなと
ちさと->かわはぎ、ほんまにこわかった。夢にみそうでしたもん
tmk->リアルでした
mumul->僕、正直吐きそうになりました
ちさと->いや、ほんと
mumul->でも、それ以上に怖かったのが、間宮中尉が井戸の中でじわじわ死に近づいていくシーン
k troy->はい、あれはものすごく切実にイメージできました。
mumul->なんか、自分も前世にどこかで体験したことがあるみたいに、鮮明にイメージできるんですよね

●日本から目をそらす日本人

tmk->関係ないといって目をそらす傾向が強いのは日本人だけでしょうか(個人差はあると思いますが)
ちさと->個人主義と集団主義の違いもあるとおもいますが。
tmk->なるほど
k troy->ああ、うまく言えませんが、欧米人はもっと自己主義な気もしますが、それを目をそらすと表現するのか? よくわからないところがありますね。
ちさと->少なくとも個人主義においては、周りの反応をうかがってから、てのはないですよね
mumul->日本という国の成り立ちとか、日本という国の特性とか、そういうことを、例えばステイ先で聞かれたとき、一番答えられないのは日本人じゃないでしょうか
k troy->かもしれません。僕もホームステイしたことあるんですけど、そのときは日本のことをわざわざ勉強していきました。
mumul->絶対聞かれますよね?
tmk->愛国心が戦後いけないことの様に教育されてきたからでしょうか?
k troy->聞かれても、勉強してないと答えられないのはある意味問題だと思います。というか、変に偏っているような。
mumul->そうですよね。逆に言えば、普通よその国の学生は、誰でもそういうことは、誇りをもって答えるからこそ聞くんだと思うんです
ちさと->うん。偏りがあると思います。「誇り」てのとも違う、偏り。
mumul->日本人は「僕は日本が嫌いだから、外国人になりたくて、ステイしに来たんです」みたいなところがある(僕もそうだけど)
ちさと->そりゃ無理ってもんですよねー。それまでの自分をつくってきたのは「日本」なのに
k troy->ですね。日本が嫌いなら嫌いって言えばいいんです。変な愛国心の名残みたいなのがあるからうまく答えられずに黙ってしまうんですよ。

●日本=親?

tmk->友人でホームステイしていた人は、外国に行って日本の良さが分かったと言っていましたが。k troyさんはどうでしたか?
k troy->僕もです。日本の、それこそ、ほんとに近くを歩いてみたいと思いました.
mumul->「日本」の部分を「親」とそっくり入れ替えても一緒なのが、面白いですねえ
k troy->親?
mumul->それまでの自分を作ってきたのは「親」なのに。家を出て初めて「親」の有り難みがわかる…同じでしょ?
k troy->そのとおりです。でも、戻ってきてすぐ思ったのは親の規模がちがうってことでした。
ちさと->あ、なるほど
mumul->河合隼雄さんが「母性社会日本の病理」って本書いているけど、ほんとそうだなって思う。日本という国そのものが、ものすごく過保護な母親みたいになってる
tmk->母子家庭も増えていますしね
ちさと->うーん。わかります。かなりそうなんでしょうね
k troy->ですよね。 向こうの親も僕には過保護に見える瞬間は多々ありました。でも、きちんと突き放すタイミングを知っているんじゃないか?って思いました
mumul->そうですよね。だから最初にあった個人主義というのが成立すると思うんです。個人が自立しているから。日本って国が、あまりに母性的に過保護だから、スポイルされまくっている僕らはよほど意識的にやらないと、うまく自立できなくて、浮いちゃったりする(^_^;)
k troy->うんうん。今では子離れできない親もたくさんいるみたいだし。そのくせ、虐待とかしてるんだから…よくわからないです。

■参加者の皆さん、ありがとうございました。「ダンス・ダンス・ダンス」について、と言ってたんですが、「ねじまき鳥クロニクル」の話になってしまいました。ちょっと不完全燃焼でしたので、また次の機会にリベンジしましょう(^_^;)。




羊男珈琲店ML:夜桜チャット・ダイジェスト
■『ノルウェイの森』談義■

参加者:K Troyさん、ちさとさん、cloudsさん、nariさん、Mumul
DATE:2001.4.14 20:00~23:00

●ワタナベ君の迷い

Mumul->実は、そろそろ突っ込んだ話でもしようかということで。「ノルウェイの森」はCloudsも読んでますよね?
ちさと->一番ですね。私には
clouds->あ、はい>ノル森
K Troy->一番です2
Mumul->で、それをテーマにちょっと話をしてみようかと
ちさと->直子と緑、どっちに共感できる?
Mumul->僕の場合、ノルウェイの森って言うと、まず「緑」なんですけど
clouds->ワタナベ君以外に共感を感じた人がいない(w
K Troy->僕は玲子さん
Mumul->あれって、かなり個人的な小説でしょう?
ちさと->でしょうね。
clouds->ですね
Mumul->だから、僕としても個人的な感じで、すごく受け止めてるところが多いんですよね
ちさと->ワタナベ君、欲しい。ワタナベ君がいると、道に迷わないような気がするんですよ。穴には落ちたくないですからねぇ
K Troy->渡辺君は迷ってるような気もしますよね
clouds->なんかワタナベ君って見えない結論を追い求めて迷ってる姿が僕自身とオーバーラップするんですよ
Mumul->「世界の終わり」で、森の中に入っていった主人公がいたじゃないですか。あのまま、ずっと迷っているのが、そのまま主人公を形成している
clouds->そうそう
ちさと->見えないのはみんな見えないのでは・・・
K Troy->結局どこへいくのか?ってみたいなね。
clouds->結論は出ていない…けど、出す必要もないのかな、って思う
ちさと->うん、それでいいと思いますよ。結論なんて・・・
Mumul->結局、どこにも行き着かなくて、最初読んだとき頭に来ましたけどね
K Troy->そうそう、頭に来た。終わってないじゃないかぁって
Mumul->「そりゃ、ないだろう」って思った。ここまでひっぱってきて
K Troy->でも、最近。 なんとなくその意味らしきものがちょっとだけ、理解できる
clouds->結局緑とどうなったのかは分からない。ドイツに着いた飛行機の中でもそれは分からない…けどあれでよかったのかな、って思う
ちさと->でもあれ、ちょっと分かる。
Mumul->僕は、直子って、それこそ最初から最後までわからないでしょう。そこに惹かれるようなるのに、ずいぶん時間がかかったな
K Troy->ノルは失ってばかりだし

●生と死

clouds->あの、ちょっと初歩的?なことをお聞きしたいんですけど、「ノル森」「ダンスx3」しか読んでないんですが、村上さんの作品ってこんなにいつも、人がいっぱい死ぬ作品なんですか?
Mumul->反対です。
clouds->死ぬ…っていうか、「失う」かな?
ちさと->私もそんなに読み倒してないから。。。。?
Mumul->ノルウェイの森で、初めて人があれだけ死んで、ダンスでもやっぱりすごく死んでる。それまでも、死んだ人は出てきたけど、あくまでサブというか、エピソードとしか語られていません
K Troy->僕はねじまきまでは失うで、それ以降は奪還だと思っています。
clouds->あそこまでリアルな感覚で、人が失われていくことはなかった。と。
K Troy->自殺だから余計に
Mumul->「心が失われる」というところはもちろんすごくあったんですけど。「人」という形であれほど、はっきりと「切断」されたのは、ノルウェイの森が最初じゃないかな
clouds->「死」が自分のすぐ傍にある、っていうことを、ワタナベ君とかはものすごく実感したんじゃないのかな、って思う
ちさと->よくわからない・・・・
clouds->言葉にしにくいんだけど(w
Mumul->「死は生の対極としてではなく、死は生の一部なのだ」みたいな
ちさと->それはなんとなくわかるけど・・・・
clouds->生は死に含まれているものに過ぎない
K Troy->緑と直子がその対極だと言うのはよく聞きますよね
clouds->なるほど。でも、本当の意味での対極でもないと思う
Mumul->そうですよね。
K Troy->うーん
Mumul->緑にも死の要素はたくさんあるし、直子もまたとても生の鮮やかさが美しいし

●自然と不自然

clouds->「人の受け入れ方」が不自然なのは、緑も直子も同じ
ちさと->不自然ですか?
clouds->なんかね
Mumul->でも、不自然を不自然と受け入れているだけ、いいと思う
K Troy->ワタナベ君も
Mumul->永沢さんは、不自然を自然と偽ってる
clouds->そうそう!
ちさと->それはそう思う。でもそれってかなり日本人的、な捉え方かも・・・・?
Mumul->じゃ、いったい自然な受け入れ方って、何だってことになる
clouds->ワタナベ君が、「不自然な受け入れ方」に困惑してる
K Troy->玲子さんは自然かもしれない
Mumul->そうかな>Troy あのピアノにかよってきたレズビアンの女の子とのことは?
K Troy->玲子さんは自分が変なのを知ってるから変じゃないってとこありましたよね
clouds->ああ、なるほど>troy
Mumul->フィッツジェラルドの「自分は普通だって宣伝する人間がいちばんおかしい」ってやつですね
clouds->永沢さんは露骨にそれをやってますもの<自分は自然だ!
ちさと->あやしくない!と言い張るヤツがあやしいってやつかな・・・
Mumul->そうそう。ダウトみたい
clouds->永沢さんはいかにも「自分(とワタナベ)以外の奴はみんなバカ」って行動してるし(^^;
K Troy->みんな普通でいたいけど一体普通ってなにかわからないものだし
ちさと->でも緑って好きですね。個人的に。
nari->わたしも緑が髪をバサッと丸坊主にしたところが、気持ち良かった
ちさと->いっぺん丸坊主ってやってみたい。いさぎよい、ですよね
clouds->僕は直子の方がいいなぁ、死んじゃったけど…
ちさと->なんで直子?
clouds->一生懸命生きようとしているところが、なんかけなげで。緑も生きようとしているけれど突っぱねるあまりに苦しくなってるような気がして、なんか見てると自分が苦しくなってくるんですよ(^^;

●キズキはなぜ死んだのか

K Troy->キズキの死は未だによくわからないのですけど・・・
Mumul->いちばん、わかんないですよね
clouds->直子を幸せにしてやれなかったから、程度のことしか考えてなかったんですが…?
K Troy->それも、突然でしょ
Mumul->それが理由で、死んだりはしないと思う
ちさと->うん、もっと別な。別ななにかが
nari->そうそう
Mumul->なんか、あまりに自然に、でもかなり必然的に死んでいるように思う
K Troy->何かありますよね。
clouds->なんだろう?
ちさと->彼女はやっぱりね・・・
K Troy->村上氏も意味なく殺しはしないでしょう
ちさと->分かる気はするんだけど
Mumul->なんかワタナベ君の「鼠」みたいなところがある>キズキ
K Troy->鼠ね。 なんとなくわかるような気がします。
ちさと->でも、死んだら終わりやろ、って思う。もっと、もっと他になにかあったはずなのに
clouds->…それが、なかったんじゃないのかな…
ちさと->そういうときに、手が、
Mumul->ワタナベ君は、どんなに苦しんでも悩んでも駄目でも、死にはしないと思う
clouds->それが彼の唯一の救いの道なのかも
ちさと->あのね、国境の南、太陽の西、の、島本さんとイズミ。救いがあったひとと、なかったひと。
K Troy->国境の内容忘れてしまった。
Mumul->村上さんの作品には、そういう「回復不能な喪失」というのが時に描かれますよね
K Troy->ねじまきは回復してますよね。 その意味でさっき奪還って言葉使ったんですけど
Mumul->でも、かなりぎりぎりですよね。ねじまきの場合も
K Troy->でも、以前の作品とは明らかに違うような気がしてます
Mumul->もう、奥さんは戻らない、駄目だっていう、ぎりぎりのところまで行ってますよ
nari->スプートニクは?
K Troy->そう簡単には戻らないかも
Mumul->スプートニクもそう。でも、あっちは作者は悩んでない
K Troy->でも、戻ろう、戻そうって感があるような気がします。
Mumul->ねじまき、は作者自体がどっちだろうって、かなり迷い悩んでいる気がする
K Troy->ノルウェイは戻したいものは死んじゃってる

●捨てるべきもの、捨てれないもの

Mumul->主人公が「失われた」って思ってて、実は読者目の目から見ると必ずしも失われるばかりじゃないってことがあります。「国境の南」なんか、そうだけど。主人公はあれで完ぺきに自分は失われたって思ってるけど、全然そうじゃない
K Troy->う〜ん。
ちさと->最後に救いがありますよね
Mumul->ノル のばあいも、ワタナベ君はすごいところにまで到達していると思う
K Troy->それはそうだと思います。
ちさと->すごいところ・・・?
clouds->到達点がすごすぎて、本人は分かってないところもあるような…。
Mumul->そうなの、だからそれが決着がつかなくて、飛行機の中でもまだ苦しんでる
ちさと->ああ、そうかぁ。そうですよね。
Mumul->その感覚って、個人的にはすごくよくわかる
clouds->うん
nari->どうしようもないっていうの、わかる
Mumul->自分が到達した場所を、うまく把握するにはなかなか時間がかかります
K Troy->感覚ではわかるけど、言葉には難しい
clouds->僕の場合、「到達点」と「これまでの経験から得た知識」が矛盾していてその葛藤に苦しんでます。そうやって思えば、ワタナベ君の苦しみもわからないではないです
Mumul->「今までの経験から得た知識」がというのは「前の場所」の視点だから、「今の視点」だと通用しないのは当然なわけで、だから捨てなきゃいけないんだけど、そのはざまでずいぶん時間がかかってくるんじゃないかと
clouds->でしょうね、たぶん。
clouds->矛盾している以上、安心できるところに答えは見つかりません
ちさと->その感覚、わかります
clouds->当然、そんなに簡単なことじゃないです
ちさと->そう、簡単ではないけど
K Troy->捨てるものが何であるか簡単にわかればいいですけど
clouds->キズキ君が死んだ時点で、その迷いは始まってるんじゃないかな、ワタナベ君。
clouds->捨てるものが分かっていても、なかなか手放せないってこともあると思う>troy
ちさと->ある。わかる
K Troy->同感 cloudsさん

●直子と緑の違い

Mumul->ワタナベ君の場合は、直子という世界と、緑という世界が、分離されてるんですよね。それが、どんどん近づいていってるような気がする。
nari->でも、直子と緑の闇の部分は共通項がある
Mumul->そうそう。親父さんの死がそれをつないでる
ちさと->だれでも直子も緑ももってんじゃないかな、ちょっとずつ、とは思ったけど。
Mumul->あの、きゅうりののり巻きをあげるシーンは、かなり強烈な印象です
ちさと->あのシーン、好きだ。
nari->あ、そうか。私のなかの表が緑で、裏が直子に近いんだ。だから、直子が好きじゃないのかも
ちさと->あ〜わかりますぅ♪
Mumul->直子は森の中が似合うなあ。パジャマ着てて
K Troy->僕にも直子面あります。
ちさと->直子って、ある意味うっといしい自分なんですよね。
clouds->直子と緑の決定的な違い、みなさんは何だと思います?
Mumul->属性
ちさと->生命欲
clouds->僕自身が、具体的な違いを説明できないんですよ…。「生きる意志の違い」でもなさそうだし。ただ、緑は「強さの中に弱さ」が見えるけど直子は「弱さの中に強さ」が見えます
Mumul->僕はやっぱり、属性の違いと思ってますね。「こちら側」と「あちら側」
clouds->こっちとあっち…分からないでもないかな
ちさと->どっちにいくかは自分次第なんですよね。それが結構怖いです
Mumul->言葉では色々言えますよ。「現実」と「死」とか、「現実」と「魂」とか、「現実」とファンタジーとかね
Mumul->でも、僕の視点だと、「こっち」「あっち」が一番ぴんとくるな。それも、顔を向けている側って、だけなんですよ
clouds->ああああああ、なるほど!
Mumul->ちょうど、日陰にいて日なたを見ているって感じと、日なたにいて日影を見ているって感じ
clouds->立ってる場所は同じなんだ。
Mumul->あるいは、その境目。なんか、僕の中のイメージは、そんな感じですね。こういう受け取り方って、あまりよくないかもしれないけど、僕は登場人物を、自分であると同時に自分の心の中にいる、登場人物と重ね合わせてみるところがあります
ちさと->私もいつも自分の手元に引き寄せて見てしまいます。
K Troy->そこは僕も同じかもしれません。
clouds->同じく>ちさと
Mumul->作品を、「現実を映す鏡」であると同時に「心映す鏡」みたいな感じ
ちさと->だから結構きついんですよねぇ
Mumul->僕の中にいる「緑」や「直子」なんですよね。だから、人事で終われない
K Troy->自分って言ってもその中にいろんな自分を感じるし
Mumul->うんうん
ちさと->そこが村上さんのお話の特徴かも。それがまたいいんですよねぇ
Mumul->単なる作り事じゃないリアリティって、そこなんじゃないかなあと思っています
K Troy->読む時の状況で直子だったり、緑だったり
ちさと->あ、そう
ちさと->やっぱしいっぺん村上さんに会いたいなぁ。
Mumul->でも、村上さん会っても、何も話してくれないでしょ〜
ちさと->でしょうね(笑)
Mumul->口下手だから
K Troy->走ってるんじゃないですか
ちさと->いっしょに走るよ
nari->わたしなら突っ込めると思う
K Troy->僕は自転車
Mumul->僕は、ビール飲みながら、カウンターでじっくりお話したいです
clouds->あ、23時に抜けますね
Mumul->では、そろそろお開きにしましょう
ちさと->チャットって、抵抗あったんですが、楽しかったです。
K Troy->楽しかったです。
nari->おやすみなさい

■参加者の皆さん、ありがとうございました。なお、会話の流れを整理するために、あちこち修正(改行を抜いたり、順番を入れ替えたり)していますので、ご了承ください。



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