2007年12月 4日
なにか書きたいことがあるらしい
なんかさっきからもやもやしてて
何か書きたいらしいんだけど、
うまく出てこない感じ。
とてもいい感じなんだけど、
うまく言えないな。
なんかすごく遠くを見ているようで
でも足下からすぐ始まることでもあり
自分がとても小さい世界にいるのに
とても大きな世界を感じる。
最近よく訊ねるのが
「あなたは幸せ?」と聞くこと。
僕の周りの友達はみんな「うん、幸せ」
って言う人がすごくおおい。
それはとてもいいなって思うし
でもちょっといたずらしたくなって
「百パー?」と畳み込むと
結構意外に「百パーじゃないかも」っていう。
そのへんの感じがすごく面白いの。
あのね、
百パー幸せって言うとね、
これ以上幸せになれないかもって言う
微妙な迷いみたいなのがあるのかもしれないし、
まだまだもっとっていう
上を見ている感じがそういわせるのかもしれない。
僕はって言われると、
なんか申し訳ないかもしれないけど
100パー超えてるんだよね。
なんかよく二年足らずで
ここまで来たなって思うけど、
ほんと嬉しいんだよね、今の自分がね。
やっぱね、
自分に正直に見つつ
今の自分が大好きなところだけで生きようと
Determination。
決意してしまったんだよね。
妥協率がどんどん少なくなっているの。
最初はほとんど妥協だけの人生だった。
それがどんどん絞めていくうちに
妥協はもういやって決めてしまって
でもそうはいってもなかなか遠慮とか
悪いかなっていう思いがあって
人に合わせてたんだけど
それって結局、がまんなんだよね。
僕はもう人の悪口なんて言いたくないし、
もっといえば人がどうこう関係ないし、
自分が幸せになることにひたすら関心があるだけで
人の期待に応えるのももうつまんなくて
僕の本当に大事な人だけ
リソースを使うって決めることにする。
すっごく辛かったり
罪悪感を感じたり
義理人情が挽き剥かれるわけだけど
でもそんなの関係ねえ
ってね。
思うことにしたの。
嫌われても怒られてもしかたないけど
もう自分を抑えて我慢してあわすのは嫌なのね。
僕は僕であって
僕のことを一番わかってあげられるのは
僕しかいない。
誰も僕を本当にはわからない。
僕が望んでいることを
誰かがかなえてくれるんじゃないかって
それは甘えであってね。
無理なんだ。
だったら自分で自分に
ほんとに求めているものを
誰かの言葉とかじゃなく
誰かの価値観とかでもなく
自分が実際に感じた感覚とか
直感とか
深い部分の快さとか
フィッティング。
そういう部分で選び取るしかないんだ。
そう思うようになる訓練をしていた。
自分に合わないものを
それしかないからと合わせていく。
それはでも、結局自分じゃないとわかるには
実際に一度トライしてみるしかない。
で、エラーとわかる。
でも、そのときにエラーだからといって
理解を示してくれる人は少ない。
方向転換して
本当に自分が生きたい道が見えるには
まだまだ消去法に頼る部分が多かった。
でも、だんだんわかってきた。
僕の出会いたい場所
接したい人
考え方
それは僕がまだ
出会っていない場所にしかないってことに。
だからそこに歩き始めた。
もうその瞬間、
僕は今までの皮を脱ぎ捨てている。
オーラもなにもかもが
違うエネルギーを発している。
僕は、自分の名前が好きになれなくて
リュウトって言う名前で活動してきて
でもそれが自分に合わなくなってきて
捨ててみたときに
自分の本名がとても好きになっていることに気付いた。
そして気付いたのは
その間、ほとんどの人がリュウトと呼ぶなかで
僕を名前で呼び続けていたのは
僕の奥さんだった。
あたりまえだけど。
でも、そうだった。
そしていま
僕は自分の名前をいつも呼んでくれる
彼女が一番そのために力になってくれたことがわかる。
こうちゃんのブログに、
名前を好きになると人生が変わるよって
書いてあった。
和平さんがそういってたそうです。
親の愛が詰まっているからだそうです。
自分の名前が好きになったってことは
逆説的だけど、自分を引いて見れる視点を
身に付けてきたってことでもあるんだろう。
今まで書いた古い文章を
再度サイトとして復活させたのも
もう昔の文章を読んでも
感情が乱れなくなったからだ。
まるで誰かほかの人の文章のように思える。
だから、とてもいい文章だと思えるんだね。
僕はずっと自分の文章がなかなか好きになれなくて
古びた文章を消したかったんだけど
今見ると、とてもいい。
正直だからだ。
「モーツァルトに会いに行く」なんて
自分で言うのもなんだけど、切ないくらいいいと思う。
自由にすごくすごくなりたかったんだよね。
それがひしひしと伝わってくる。
「自由のイデア」もね。
でも、みんな過ぎ去った思い出。
いい思い出になった。
今がすごく気持ちがいいから。
毎朝
通勤しながら思うのは
耳が聞こえて
iPodでCaravanの音楽を聴きながら
二本足で歩けるってことがどれほどすてきかを感じている。
病気していたとき
僕は歩くこともできなかった。
コーヒーも飲めなかった。
いまは毎日スタバでおいしいコーヒーと
気持ちのいいソファでくつろげる。
家に帰ると
かいちゃんとみみぃがいつも飛んでくる。
まるでお祭りみたいに嬉しそうに両手をあげて
とびついてくる。
奥さんがお料理を作っていて
おかえりっていう。
部屋にはゆきとともが
宿題したり、本を読んだりしてて
「おかえりー」っていってくれる。
十五年前、僕は一人だった。
病気してたとき
このまま誰とも結婚しないで死ぬのは嫌だと思っていた。
東京に一人暮らしをしていたとき
僕は二年間ほとんど誰とも話をしなかった。
人のぬくもりを感じる相手もいなかった。
いつも一人で、
まるで刃物を心に当てて生きているみたいだった。
今は毎日、温かいお風呂に入っているみたいだ。
いつも子供や奥さんがいてくれて
温かい鍋をつつきながら
ひたすらしゃべりまくっている。
子供たちの体温、声。
奥さんの体温、声。
それがいつも僕の生活を彩っている。
どれほど幸せなのかと思う。
なにをあれほど苦しんでいたんだろう。
いや、あの苦しみは紛れもなくあったものだ。
実態としてあったものだ。
ただ、そのような人生を
チョイスするしかないと
自分を言い聞かせていたんだ。
でも、僕の中にいる本当の自分は
神様のような本当の自分は
そんなのはウソだって言い続けていた。
愛と自由。
それが僕が求めてきたものだ。
そして今僕はすでにそれを手にしていることに気付く。
僕が求めてこなかったことが
豊かさだった。
いま、だからそれを追加オーダーしているところだ。
それですべてが完成する。
愛と自由と豊かさ。
この三つが一つになる世界。
三つトライ
一つアイン
そして僕はアイントライと名付けたことを思い出した。
そしてそのKey of Lifeになるのは
静かなワクワク
つまり、「感謝」だってことを教えてくれた人がいる。
「ありがとうございます」の秘密を教えてくれた人だ。
そしていま僕が新たに接していこうとしている世界にもいる。
いま僕は120パーセント幸せだってことに気付かせてくれて
そしてそれが豊かさを実現する鍵だってことを教えてくれて
本当によかった。
でなければ、いつまでも見つからないものを探して
あちこち堂々巡りを続けなくてはならなかっただろう。
僕は本当に素晴らしい出会いをいただけた。
感謝でいっぱいです。
出会いと別れとを積み上げながら
僕は幸せの道を歩んでいきます。
ひとりさんがいったように
僕の歩いた道が
幸せの花が咲く道になってくれたら嬉しい。
もちろんそれは結果に過ぎないけれど。
僕の心はただ
僕の愛する奥さんと子供たちが
幸せになることをやることに向いている。
それがすべてで、その余った部分が
周囲にも流れていけばいい。
そう思う。
正直今は
まだいっぱいいっぱい。
自分以外の人のことを
考える余裕なんてないけれど
それでも感謝を毎日積み上げて
進んでいきたいです。
なんか長い独り言だな。
文章は柔らかいけど決意は固いよねえ。
おしまい。
- by lute
- at 01:51