箱庭と出会うまで

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こんにちは、宗生です。

今月8日から24日まで、英国ロンドンに行ってきます。
箱庭療法士集中養成講座を受けるためです。

なんで、陰陽師が箱庭?と思われるかもしれませんので、
経緯を書いてみようと思います。

私が箱庭に関心を持ったのは、最近ではなく、かなり昔にさかのぼります。

私は22才のときに結核で死にかけ、右耳の聴力を失いました。
退院後、身体は良くなったものの、心がどんどん鬱に入ってしまい、
そこから抜け出すために、物語をたくさん読みました。

そのとき、一番好きだったのが村上春樹さんでした。
彼の作品に影響されて、物語を書くようになりましたが、
それは人に読んでもらうためというより、自分を癒すためでした。

名大から早稲田に移って、東京で一人暮らしをしながら、
たくさん本を読み、学び、そして物語を書きました。
その集大成がグラールという物語だったわけです。

ところが、この物語、書いたはいいものの、
自分自身、それが何なのか、計り知れないものでした。

直子がこの物語を最後まで読み切った最初の読者で、
それがきっかけになって付き合うようになったわけですが、
それでもこの物語が何なのか、自分自身わからないままでした。

そんな状態のまま放置しておいたわけですが、
あるとき、村上春樹さんと河合隼雄さんの対談が出版されました。
それまで、河合隼雄さんの名前は知ってはいたものの、
本を読んだこともなく、どんな人かも知りませんでした。

しかし、村上さんの小説は全部読破し、
全作品のレビューページを書くほど好きでしたから、
対談の中で河合さんの語る言葉の理解の深さ、正確さ、
共鳴度の計り知れない深さに触れて、仰天してしまいました。

それから、河合隼雄さんの著作をどんどん読みはじめたわけです。

河合隼雄さんは、日本に「心理カウンセリング」を初めて輸入した人と言われています。

もともと数学の教師だった河合さんは、生徒の相談にのるうち、
人に助言を与えるための本格的な訓練を受けたいと思うようになり、
チューリヒのユング研究所に留学し、心理療法士として訓練を受け、
資格を得て三年後に帰国されました。

それから天理大学の講師を経て、京都大学に移られ、
難しいクライアントさんをたくさん受け持ちながら
日本に心理臨床やカウンセリングの技法から、
姿勢、考え方などを紹介されていったそうです。

そのとき、河合さんが日本に初めて紹介した技法の一つが、
スイスでの留学中、カルフ女史から学んだサンドセラピーだったのです。

で、その方法論や姿勢に感銘を受けられ、
方法を研究したり、実際に日本でも行なって、事例を積み重ねながら、
サンドセラピーを、より日本的な言葉で河合さんが「箱庭療法」と命名され、
主に子どもたちを治療する臨床現場で紹介しました。

河合さんの本を読んでいくと、心理療法だけでなく、
児童文学にもたいへん造詣が深く、その解釈もとてもおもしろいながら
含蓄に富んだものがあり、彼の児童文学やファンタジー論を読んでいくうちに、
自分の書いた物語のことも、だんだん理解でき、受け入れられるようになって来ました。

そして、強く惹かれていったのが、この箱庭療法を始めとする、
表現療法だったわけです。

箱庭療法では、箱庭と呼ばれる木の箱のなかに砂を敷き、その砂の形を変えたり、
数多くのおもちゃや飾りを置いていくわけですが、
一回のセッション中にも、さまざまな物語が発生します。

子どもたちクライアントは、自分の苦しみや傷み、悩みを言葉に表現できません。
しかし、箱庭という空間を与えられ、そこで遊んでいるうちに、
自分自身の物語を、無意識のうちに形にし始めるのです。

カウンセラーはその箱庭に描き出された物語に気づき、
理解し、共鳴していくことにより、
子どもたちの心の奥にある経験や思いに触れることができます。

こうして非言語的にリレーションが結ばれることで、
子どもたちはカウンセラーを信頼したり、
時には試すようにカウンセラーを揺さぶったりしてきます。

カウンセラーは何かを語るというよりは、ただ、
その箱庭の中の風景や物語が、まるで実在するかのように、
受け入れ、理解し、共鳴していくことに努めます。

このようなことを何ヶ月か、何年か行う中で、
クライアントの中で、死と再生といったプロセスが起こったり、
アクティングアウトといった形で破壊が起こったりしながら、
変容を遂げていきます。

なぜ、河合さんがあれほど「物語」を深く理解できるのか、
実際箱庭や心理療法を学んでみると、よくわかります。
クライアントという生きた人間の中にある物語を、
いつも瞬間瞬間に受け止め、理解しようと訓練し続けているからです。

私は、そんな箱庭という環境そのものに、強く惹かれました。
でも、実際学びたいと思っても、それはアカデミックな中でしか、
学んだり、行ったりすることができません。

そこで、私は在野のある心理カウンセリング講座で、
箱庭療法が学べると聞いて、入会をし、学び始めました。

そして、箱庭療法だけでなく、風景構成法、コラージュ療法、
バウムテスト、プレイセラピーなどなど、数多くの表現療法について
勉強し、実際に自分も体験させてもらいました。

おもしろいだけでなく、人を全人的に理解する上で、
非常に有効でパワフルな手法だと感じました。

家に帰ってからも、自分や家族で風景構成法やコラージュを使って
実践をしてみましたが、自分の中にあった闇や理解できないままになっていたものが
光があたって、受け入れられていくといったプロセスを体験しました。

ちょうどそのころ、私は宗教法人で働いていたわけですが、
ある会員さんの子供さんが不登校で悩んでおり、
私がカウンセリングを勉強していると聞いて、
相談に乗って欲しいと頼まれました。

当然素人なので、責任は持てないことを了承いただいた上で、
あくまでいっしょに遊びながら話を聞くというスタンスで、
木を書いてもらったり、コラージュをしてもらったり、
風景を書いてもらったりしました。

よほど力のあるお子さんだったのだと思いますが、
一週間合う中で、その書く絵がどんどん変化していくのです。
とくに印象に残っているのが「鳥」でした。

最初の頃、絵を書きながら、その子は、
車に轢かれて死んだ鳥を見たことを話してくれたのです。

特にかわいそうとか、ひどいとか、そんな気持ちを話してくれるわけではなく、
淡々と「鳥が車に轢かれて死んでたんだ」と話してくれました。
それがなぜかとても心に残りました。

ところが、一週間後、絵がどんどん変化していく中で、
最後の絵の中に、羽を広げて飛んでいく鳥が描かれていたのです。
彼はその鳥のことは何も話しませんでしたが、
それを見て私はなぜか、涙が出そうになりました。

とてもきれいだったからです。

ああ、人が変わる時って、なんてきれいなんだろうなって
その時思ったように思います。
そしてその子は、すっかり体も元気になり、学校に戻って行きました。

そんな経験をして、とても嬉しかったので、
作品ともどもレポートにまとめて
講座の先生に送ったのです。

そうしたらものすごく叱られました。

当然ですね。素人が勝手なことをしたわけですから。
そんなこともあって、結局私は資格だけ与えられて、
除籍という形になってしまいました。

とっても残念でした。

せっかく素晴らしいことを学べると思っていたのに、
かえって道を塞いでしまうことになってしまいました。
そうして、断念せざるを得ない、といったことがあったのが、
かれこれ10年以上の前になります。

その間、自分で箱庭を作って、ひっそり自分でやったり、
どうしてもと頼まれた時だけさせてもらったりしましたが、
だんだん情熱も薄れ、箱庭も捨ててしまいました。

そしてすっかり忘れていた昨年、
リーブスで箱庭を教える講座が開かれるという案内を読み、
本当にびっくりしたものです。

例えは悪いですが、
昔別れた恋人に久々に会ってしまったら、まだ独身だった的な、
なんとも妙な気分でした。

やりたい、という気持ちと、いまさらなんで、という気持ちが入り混じり、
最後まで悩みました。価値から考えればはるかに安い講習費も、
実際出すとなると、迷いまくりました。

でも、仲さんの「キャンセルが出ました」という記事を、FBで見かけた瞬間、
「あー、もうだめだ。いくしかないわ」とやっと決断でき、
申し込みをした次第です。

そんなわけで、何年来のリベンジになる箱庭療法の集中講座が、
いよいよ来週から始まります。
メンバー表もいただき、すごい人ばかりで超プレッシャーですが、
真摯に学んできたいと思います。

ではまた。

©Muneo.Oishi 2012
 
 

補足(2018.6):現在は直子より箱庭療法及び療法士養成コースをご提供しています。
https://einetrie.com/?page_id=4788

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